


| ◆東岳太極拳普及キャンペーンその2♪ | |
| ◆副題:幸せのドラゴンボールを求めて、その2♪!! |
★東岳太極拳普及キャンペーンーその2★
全国ツアー
宅配押売太極拳
辻説法太極拳
来春から2号車1500cc・キャンピングカーに乗って
全国どこへでも出張・出前いたします。
よんでちよ!呼んで!読んで!
その昔、オリエンタルカレーの宣伝カーのあの懐かしいメロディーが耳の奥から蘇って来ます。
(あはっ、わからないだろうな)
還暦をきっかけに全国ツアー始めるも、図らずもアクシデント
(信号待ちのところに、ドカーンとオカマ彫られたのよ!)
そのためにあえなく一時中断を余儀なくされた。あれから3年、再びパワーアップして再チャレンジ!起き上がりこぶし(拳)!(本当は起き上がりこぼしと言うのね)
人生は生きること。七転び八起き、何度ダウンしても再び立ち上がればそれで良し!
ところが、2度あることは3度あると・・・
こんどは、子供の自転車が飛び出してきて、あわやっ!というところで、
ブレーキ・ハンドル操作で回避!やれやれと安堵した瞬間!
ド〜ンと、普及キャンペーン1号車オカマされました〜!
またもや、頚椎損傷!もういやっ!
なんという不運な人生シナリオだろうか、神も仏もないね!恨んでやる〜
しばらく、完全なるうつ病状態に陥りました!
どうも疲れると思ったら、事故後のPTSDにさいなまれて、1号車に乗ると疲れるんです。
またいつ4度目に襲われるかと、後ろが気になるんですね。
そこで、マイナススパイラルを吹っ切るために、2号車に乗り換える作戦立てました!
そう、いつまでもうじうじしてても、誰も救ってくっれるわけでなし、自力更生よ!
というわけで、明るく明るくアホになって、三度の苦難を乗り越えて
(
そう簡単には乗り越えられないのですが、フリです♪きっぱり!)
マイナススパイラルのプログラムを強制的に書き換えるしかないのですね!
人生って、重い荷物を背負って坂道を行くが如しと」徳川のご先祖さまが説いています。
首から肩にかけて不定愁訴が背後霊のように張り付いているんです。
荷物なら、すぐにでも降ろしたいところです。
まっ、これが俺の人生よ!と覚悟決めて、
前向きプラススパイラルを呼び込む作戦に切り替えました。
人生はまさに出会い!
日中正常化は横浜から始まった!
幸いなるかな横浜在住というまさにこれはまごう事なき出会い!
上海の顧留馨老師や紀洪宇老師周元龍老師たちとの上海・横浜友好市民交流行事での出会いなど、我が太極拳人生の創世記だった。
時代に生きるということが、こんなにもすばらしいことだったと今になって気付いている。
もっと真剣に学んでもっと大切に生きればよかったと悔いても仕方ない。
深酒と親父の小言は後で効くって・・・
29歳で東名高速道路にて瀕死の事故。
生死の境目をさまよい臨死体験!
車椅子、松葉杖、リハビリ人生を経験。
天国か地獄かはわからなかったけど・・・
閻魔大王から「お前はまだ早い!社会に奉仕してから戻って来い!」
と追い返された。
そこから、苦しみ。もがき、あがいて今日がある!って 汗;
ちょうど、そのころ日中国交正常化という、運命の出会いが待っていてくれた。
運命って、本当にあるのですね。
自分ではどうすることも出来ない運命。
知らずに導かれる運命。
まさに千載一遇の幸運でした。
横浜・上海友好都市締結1973年11月30日
がその後あって、市民交流が企画された。
まだ足のおぼつかない身体で、汎アジア文化交流協会からリハビリの紹介を受けたのが、上海東昌病院だった。
そこで、外国人として始めて練功十八法を学ぶことになった。
そのときの先生が荘元明老師ほか病院の医師団だった。
その後、中央政府のある北京で学ぶことが外国人としては良いとの助言を受け、
北京体育学院(現北京体育大学)を紹介された。またもや運命の出会いである。
24式の生みの親である李天騎老師や陳式18世馮志強老師らとの出会いに始まり、体育学院では張文広・張広徳・門恵豊・敢桂香などなど多くの教授たちや現在中国武術協会主席王修燐先生や人民大学の李徳印老師などの先達に導かれる幸運に恵まれた。
最初の日中太極拳交流会が武漢で開かれ、
氾アジア文化交流センター代表として参加し金賞受賞!
そして、日本武術太極拳連盟創成期には、なんと首届香港太極拳アジア大会では蔡劉云老師やほかと国際審判員として参加させていただいた。
全国で一番早く体育協会に太極拳が種目団体にみとめられたのが横浜市であり、その後の連盟発展におおいに寄与した。
これは紛れもない事実である。
現在は日中太極拳交流協会主任指導員。
横浜市太極拳協会会長、横浜市練功十八法協会
横浜市東岳太極拳研究会会長
神奈川県武術太極拳連盟理事
ほかにも、雑誌やTVなどで紹介されたこともあります。たとえばこれなど・・・雑誌「シンラ」ほか
横浜市から社会福祉功労賞を受賞
社会福祉協議会から10年にわたる寄付行為に対し感謝状をもらう。
など社会貢献もPRさせていただきます。
ただし、資料はあくまで過去の自分を引き合いに出し公開して、信用を得ようとする姑息な手段であり、押し売り宅配太極拳の売りのPRに過ぎません。お許しください。
ここからが本題!
わたしの生涯の拝師する師は、門恵豊・敢桂香ご夫妻の教授たちであります。
お二人との出会いは、彼らが北京体育学院の助手のころからのお付き合いであります。
一番の不出来な弟子であり、したがって一番不憫なやつと大事に扱っていただいて今日があります。この障害者を太極拳で治すことが日中友好の証だと!まさに災い転じて福でした。
しかし、当時の社会体制では、日本人いや外国人には本当のところ、いわゆる真髄にあたるところは教えるな!と厳命を上司から受けていたと、教授の定年退職フリーになった今になって聞かされた。
さも有りなん!しかし、どうせお前は障害者。身体がまともに動くわけでないので、安心して本音で接することが出来たとも本音を漏らされ、苦笑;。
あれから37年
いま、師は70歳の古希を向かえ、自分は還暦を過ぎて考えるところ有りと!
今行動しなければと・・・思うに至りました。
横浜では一定の普及を見て達成し、全市内に30箇所以上の拠点が普及拠点も出来、横浜市体育協会の種目団体として、太極拳も社会的な地位を築いた。
そろそろ次世代の若い人達に現場を任せ、自分は師の教えをもっと日本中に普及活動を広める努力をしたいと。
2000年元旦、21世紀の開幕とともに世界遺産泰山頂上に誕生した東岳太極拳。
生みの親は、わが師門恵豊・敢桂香教授だった。
それから5年、2005年には泰山頂上に東岳太極台を築き、2007年東岳太極亭を建立するお手伝いをさせていただいた。
いよいよ、普及の足がかりができた。
還暦を機に先駆けて、日本に東岳太極拳普及活動を始動開始するも、
不慮の事故に見舞われ途中で断念せざるを得なくなり、不発に終わってしまった。
3年の潜伏期間を経て、再び再チャレンジ・リベンジの時!
いよいよ準備に入りました」。
還暦ツアーはちっさな軽オープンカーCopenで全国ツアーとしゃれ込んだのですが・・・
島根・鳥取・大分・長崎などを巡業し「東岳太極拳」の普及活動を始めました。
ついでに日本一周と北は礼文島、西は屋久島まで走破しました!
ところが、信号待ちで後ろからノーブレーキの車にドカーンとオカマ彫られて・・・
頚椎損傷!
そこからくる医学的にもいまだ意見の分かれるところの
隋液減少症というやっかいな症状に悩まされて3年。
普及活動も中断っせざるを得なく、今日まできました。
いまだに、症状は芳しくありまっせん。
しかしこのまま歳を重ねては、とイライラ。ストレスが増すばかりです。
どんな症状かといいますと、
簡単に言えばある時間が来ると脳を支える隋液が減少してくるようです。
しばらく横になること、そうです水平勤務することにより、症状が改善されるのです!
たとえてみれば、ウルトラマンが3分たつとエネルギーが切れるって感じでしょうか・・・
そこで考え付いたのが、移動中いつでも横になることの出来る車です!
ちっさなCopenで走り出したのですから、これにベッドを積んだらどうかと・・・
コペン
にベッド
を積んで・・・
発想の転換というやつですね。
いろいろ試行錯誤、ついに見つけました!
軽トラックにベッドを積むのです!一応かっこつけて、スマートに意地張ってキャンピングカー仕様と聞こえはいっちょ前です。
正直なところ、軽トラでこんなに値段が張るの?とちょっと戸惑い気味ですが・・・
幸いというか、当然というのか3年近く悩まされた交通障害保険(何等級障害とか)が下りて、この車の費用に当てたのです!
なんと、運命とはこんな出会いもシナリオに隠されていたのですね。与えられた命の代償・余生の生き方、面白いです。
2007/10/16 待望の東岳太極拳推広活動車の完成です!
着々と環境整備を整えて、日本全国に 東岳太極拳の普及の夢を描いて活動開始しました。


